この文章はニフティーサーブ・FCGAMEM2の会議室にアップしたものに修正を加えたものです。

 本編をビデオで観てハマって、PS本体は友人から調達して遊びました。 このゲームは良い。他人がどう思おうと、このゲームは良い。私にとって最良の部類に入るゲームです。
 初日は時間が無くて、1時間ほどでやめたのですが、そらもう続きが気になってしょうがなく、2日目は、眠気なぞこれぽっちも起きずに遊んでいましたが、とあるファイルをあけたせいでエンディングへ・・・
 ちくさふ、玲音の日記も全部読んでいないのに、ムービーもあけてないやつがあったのにというのは後の祭り。

 で、レインとつながったワケですが、その後はみなさん、ご存じの電子音で名前を呼ばれてました。(そのときはPC6001Mk2なんかを思い出していましたが)

 ではゲームの感想です。

 このゲームの中で怖さを感じたのは、ゲーム序盤にトウコの日記の中にレインの笑い声が入ったところや、ムービーで玲音(レイン?)が笑いながらカメラ(というか誰の視点?)を押し倒す所ぐらいでした。
 ゲームも中盤になると、トウコが錯乱しようが、カウンセラーが逆転しようが、玲音が幽霊みたく消えたり現れたりしようが、あまり怖さを感じません。
 それよりも、全般を通して感じるのが、心の痛みです。
 ホラーなシナリオや、残酷な動画や表現以上に、プレイヤーに心痛を与えるところが、このゲームの最大の特徴ではないでしょうか。
 これが小説で、先頭のページから最後のページまでシリアルに文字を追っかけるだけの読者という立場だったら、此処までの感情移入と心の痛みは生まれてこなかったと思います。

 ノートのお礼にキョウコちゃんにケーキをおごうろうと云う時の玲音の台詞に、心を和せました。それが手紙の一件で玲音が心を閉ざしていこうとするときには、なんとか踏みとどまってほしいと願い、玲音が中学に入り友達もでき、トウコ女史もカウンセリングが不要と言い出したときには安堵感を感じました。
 そこからトウコさんの自我が崩壊していく過程では、トウコさんに心の中で声援を。しかし物語は玲音の両親の離婚を機に急転直下。「レイン」が主人公となり加速度敵に悲劇が進んでいく。
 その時もプレイヤーたる私は、単なる傍観者や読者ではなく、なんというか精神的に攻撃を受け続けている状態です(?)。しかし逃げる(ゲームをやめる)ことが出来ない。

 膨らむ深読み、湧き出る妄想。

 ミサトちゃんが存在しない? しかしタカシさんというのは実在しているのか? じゃあトウコさんはなに? トウコさんも本当は研究所では研究対象にされているんじゃないのだろうか? もしかして玲音はトウコさんの空想の産物? それとも逆?

 でもワイヤードのレインだけは、このゲームの中に確実に存在しているように体感しました。


[余談]

たぶんエヴァンゲリオンと比較されることは多いのでしょうが、碇シンジの自我崩壊を物語の破綻でしか表現できていないエヴァよりも、serial experiments lainの方が物語やプロットでは優れている−、というか完璧でしょう。以上TV版をビデオの3巻までしかみていない人間の長々とした感想でした。

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